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軍歌の定義

 明治期から大東亞(太平洋)戰爭終結までの九十有餘年、軍人の士氣を高めその價値觀や精神を稱賛・表現するために作られたのが軍歌である。
 戦後、軍歌は戰爭や武力行使を美化し、暴力や侵略を奬勵すると見なされるために忌み嫌はれてゐる。だが一方では、軍歌が歴史的な文化遺産や軍事の傳統として尊重され、公式の行事や儀式で演奏されてゐるのが事実だ。さまざまな文化的なコンテキストで再評價され、政治的なメッセージや社會的な變化に對する反応として注目されるべきである。
 定義については、的確かつ正確な『日本陸海軍辞典』から引用させていただく。
 兵士たちの士気を高め、行軍の足並みをそろえさせるために作られた軍隊専用の歌。戦時には軍隊のみでなく国民の愛国精神を高めるためにも作られ歌われた。日本陸軍の公式の軍歌の始まりは、一八六八年(明治元)の維新戦争の際に官軍が歌った行進歌の「トンヤレ節」であるといわれる。
「宮さん宮さんお馬の前でヒラヒラするのはなんじゃいな あれは朝敵征伐せよとの錦のみ旗だ知らないか トコトンヤ レトンヤレナー」の歌詞は長州の品川弥二郎が作り、作曲は明治陸軍の創設者大村益次郎であったから官製軍歌といえる。
 日清、日露の対外戦争ごとに新しい軍歌が作られ軍歌集が編集されていく。明治初期の軍歌集には、「君が代」「海ゆかば」「すめらみくに」「国のしずめ」などの順で収められている。
 官製、私製で多くの軍歌調の歌が作られたが、その中で陸軍軍歌集の「雄叫」や海軍の「海軍軍歌集」や「吾妻軍歌集」に収められていて、軍隊で歌われたのが正規の軍歌となる。その他は、非正規の私製軍歌であり、一般向けの国民歌謡や戦時歌謡、あるいは戦争映画の主題歌で、現在、軍歌と思われている歌の多くは、この分野のものである。
 日露戦争の時に作られ、一躍有名となった「ここはお国を何百里離れて遠き満州の-」の歌詞の「戦友」という軍歌は、その反戦的な悲しいムードのために、逆に軍隊では歌うことを禁止された非軍歌であった。
『日本陸海軍辞典コンパクト版(上)』113頁
新人物往来社刊、平成15年8月1日発行。

皇紀2659(平成11)年~2684(令和6)年04月29日
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